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肉体に入っている間に悪癖を消えてゆく姿にしよう

(前略)ここに来ている人たちは、その意味では本当に幸せなのです。ここに来ている人たちは、今亡くなっても、必ず霊界以上に行くんです。幽界、迷いの世界に行く人はありません。

何故かというと、守護霊守護神がちゃんとそこへ連れて行きますから。亡くなる時は守護霊守護神が現われて、あるいは五井先生の本体が現われて、「あなたの世界はここなんだよ」とちゃんと連れて行ってくれ、霊界へひとまず置いて、「ここがあなたの住まいなんだよ」と言っておいて、今度はまた改めて、修行し残したことがありますから、短気なら短気の想いを直すとか、嫉妬があれば嫉妬を直すとか、いろいろな欠点を祓(はら)うために、修行に出されます。

けれども、自分の座はここだ、とハッキリわかっていますし、いいところにありますから、修行に出されても、何年かすれば大丈夫ということがわかっていますから、苦しくない。楽しくなる。

ところが、こういう教えにふれていない人は、守護霊守護神も知らない。霊界もなんにも知らないで逝ったとすれば、自分の想いのままで、その世界へ行くわけです。

人が嫌いで、人のために一寸も尽くさない、自分のことだけを考えて、自分の儲け、自分の栄耀栄華ばかり追っているような人は、誰も人のいない、もう光も何もない、真っ暗な灯も見えないような所で、おたおたしている。金集めに興味のある人は、暗い金蔵(かねぐら)の中でお金ばっかり数えている。想いがそのまま現われる。

皆さんみたいに神様のことを思い、守護霊守護神のことを思っていれば、想いのままが現われるのだから、、守護霊守護神のところに行くわけです。

守護霊守護神が導いていくけれども、そのままでいるわけじゃない。やっぱりいろんな癖がありますから、その癖を直すために修行させられます。自分のことだけ思うような、人なんかどうでもいい、というような想いがあっても、”守護霊守護神さん”と言っていれば、死んだところで、霊界の座がちゃんと決められています。

けれど、もっともっと幸せになるためには、出来ることなら、守護霊守護神に感謝しながらも、自分の悪い癖というのはどんどん直していったほうがよい。

自分のことだけでなく、人に愛を及ぼして、社会のために尽くさなければだめなんですよ。

そこで、自分の悪い癖は生きている間にとっておいたほうが得だ、ということになります。(後略)

五井昌久著『内なる自分を開く―本心開発メソッド』より