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真理の光に照らされた生活③

(つづき)話にきくと、宗団の権力で、実業家の仕事をおびやかしているところもあるということで宗教家が権力欲で事をするようになっては、その宗団の末路は知れたものというべきです。

実業家たちが、お互いの仕事を拡張するために権謀術数を用いていることは、利益を主体にした会社なのですから、致し方ないといえばいえるでしょうが、宗教団体は精神の浄化が主なる目的なのですから、権力欲だの、権謀術数を用いたりすることは、神仏の道からの脱却でありまして、もうその団体は宗教団体というべきではないのです。

事業会社では、その事業が発展してゆくことによって、従業員のこの世における生活が安泰になるのであり、ひいては国家のためにもなっているのでありますから、権謀術数を用いるという、マイナスも相殺されてゆきますが、宗教団体はいかなる理由がありましょうとも、人々の心を汚す方向に行動してはいけません。

宗教団体がこの世に必要であるわけは、この世の利害にのみ把われている人間の精神を、洗い浄め、神と人間との一体化を人々に自覚させるためなのでありまして、この世の利のために、人力と金力とにものをいわせて、その権力をほしいままにしようなどというものであってはならないのです。

宗教団体もそうであるし、個人としても宗教者は、すべてそうあるべきなのであります。宗教の堕落は昔から言い古されていましたが、立派な本格的な宗教者もかなり存在していたのであり、現在も存在しているのです。(つづく)

五井昌久著『光明をつかむ』より