(前略)諸行無常、すべてが変化変滅してゆくのがこの世の自然の姿です。ただ常住なるものは何か、といいますと、神のみ心そのものだけです。
ですから人間は、すべては消えてゆく姿として、神のみ心の中に、すべての想念行為、現象を入れきってしまえばよいわけなのです。
消えてゆく姿という想念で神のみ心に入りきってしまうエスカレーターとして、世界平和の祈りという、神のみ心そのものである人類の大調和世界顕現を願う祈りごとを、日常生活の一瞬一瞬の間においても実行しているのであります。
こういう日常生活というものは、すべての現象を無理に善なりと思おうとするわけではなく、自然と悪や不幸や、自他の想念の誤ちに把われなくなってしまい、いつの間にか、真実の光明思想の生活になってしまうのです。
肉体人間、物質人間観が、自然と神霊人間観になってしまう易行道の光明思想が、消えてゆく姿で世界平和の祈りなのであります。(後略)
五井昌久著『霊的存在としての人間』より