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有りのままを認めながら在るがままに到る道(前半)

(前略)

人間は神の分霊であり、

神の子であるのですから、

必ず救われる

に決まっているのです。

ただ今日までのように、

業想念波動の現われである

悪や不幸につかまっていて、

世の中は悪い、不幸な世界だ、

というように想いつづけていたり、

消えてゆく姿という

順序を踏まなければ、

神の子人間は現われないのに、

ただやたらに

神の子完全円満と思おうとして、

事実はなかなかそうならないので、

ついには自己や他人の不完全さに

打ちひしがれたり、自他の現象を

ごまかしの眼で見て、

あたかも自分は神の世界に

そのまま住んでいるのだ、

という印象を

人に与えようとするような

偽善者、不正直な人に

なってしまっては、

人間の真(神)性は

現われてはまいりません。

人間は、この現象世界は

そのまま素直にありのまま、

善は善とみ、悪は悪とみ、

不幸は不幸とみてよいのです。

(つづく)

五井昌久著『霊的存在としての人間』より