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瞬間の反省②

(つづき)

宗教信仰者というものは、

普通人以上に

反省ということが必要なので、

全託生活になりきらぬ限りは、

反省の必要は大いにあるのです。

完全なる全託者となれば、

もはや、そうした質問

(※全託すれば反省の必要はないかという質問)

の範疇を脱しているのですから、

この限りではありませんが、

皆さんは、

反省につぐ反省による

全託への道を

歩んでゆかなければならないのです。

しかしながら、

私の提唱している

世界平和の祈りと

消えてゆく姿の教えを

行じておられる方々は、

反省と消えてゆく姿とが

表裏一体となって、

瞬間的反省になってくるので、

反省につぐ反省の生活という生き方が、

とかく人間の心を

暗くしてしまうのに比べて、

反省した瞬間に

その想念事柄は過去となって、

いわゆる”消えてゆく姿”となって、

世界平和の祈りの中に

解けこんでしまうのであります。

消えてゆく姿で

世界平和の祈りの生活には、

反省ということが即座に

本心開発のための明るい、

把われのない

消えてゆく姿となって、

そのまま反省の意義を

高めてゆくのです。

(つづく)

五井昌久著『宗教問答 (続)』より