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心の平安、心の平和⑥

(つづき)自分が平和になるということは、周囲も明るく照らします。周囲を照らせば、だんだん社会も平和になってゆく。

そういうように連鎖的に光明波動が世界中に広まってゆくのだ、といつもそればかり説いているわけです。

これは簡単に見えるけれども、実践しなければ出来ない。しかし、先を急ぐと難しい。

だからその場その場で、そのままやっていればいいんだ、そのまま”消えてゆく姿で世界平和の祈り”さえやっていれば救われるんだ、大丈夫なんだという簡単な想いで、毎日たゆまずやっていれば、知らない間に本心が開発されてゆくのです。

現われてくるものはみんな消えてゆく姿です。

なぜかというと、この世の中というのは玉石混交で、神さまのみ心の光と、人間の勝手な想いとが入り混じって出来ている世界だからです。

では人間とは一体どういうものであるかというと、実は神の子であって、この世の中は神のみ心しかないのです。

神さまのみ心は完全円満なのだから、完全円満ではないあらゆるものは、実在するものじゃないんです。

だから消えてゆく姿に違いないんです。

本当にあるものじゃないといっても、実際に現われているんだから、現われているものは否でも応でもいったんは認めなければいけません。

悪人のいることも事実だし、弱肉強食の姿も事実だし、そんなものは本当はないといったって、現にあるわけです。

そこで私は、ないのではなく、現われているものは現われているものなんだ。

しかしそれは実在ではなく、いつかは消えてしまうんだから、ああそれは消えてゆく姿だ、嫌なものはみんな消えてゆく姿だと思って、それを世界平和の祈りの中に入れてしまって、大光明波動と嫌な業想念と取り替えてしまえばいい。

そうやってどんどん取り替えていれば、いつの間にか潜在意識はきれいになり、世界中の潜在意識がきれいになって、世界が平和になるんだから、一生懸命、うまずたゆまず世界平和の祈りを祈りなさい、というんです。

一生、二生、三生かけてもやらなければダメですよ。(つづく)

五井昌久著『天の心かく在り―日本の進むべき道 (聖ケ丘講話)』より