(つづき)
肉体人間となりますと、大半が現象世界だけに住んでいる感じで生活していますので、自己の本体である神霊界の意識がないのであります。
肉体人間としてこの世に住みながら、はっきり神霊意識をもち、自己の肉体身を自由自在に扱える人を覚者というのですが、そういう人はわずかしかおりませんで、大半がこの現象世界の自己という想念波動に振り回されて、神霊の本心を忘れ果てているのであります。
そこで守護の神霊のほうでは、この世の幸不幸というより、いち早く生命の実の相を人々に知らせたいと思って、種々な環境にこの世の人間をおいて、修行させるわけなのであります。(中略)
なんにしても一番大事なことは、生命というものが永遠性のものであって、自己の肉体にのみ存在するものではないということを、はっきり知ることに努める心がけなのです。
永遠につながる自己の生命を、素直にそのまま働かせるということ、生命を汚さないということの大事さを、しっかり認識しなければいけないのです。
生命というものは、神のみ心そのままに動いているときが、一番生き生きとしている時なので、いつも生命を生き生きと活動させていることが、個人にとっても人類にとっても貴重なことなのです。
(つづく)
五井昌久著『神は沈黙していない』より