(前略)
神のみ心とひとつになろうとする心はよいのですけれど、実は、その人の目指しているものが、神のみ心ではなくて、神秘不可思議の世界、つまり四次元以上の五感に触れない世界、幽界霊界のように肉体の力でない働きを持っている世界、そういう世界を自分のものにして、自分の力を増大し、人々より強い能力を、その世界から得たいという欲望を持っていながら、それが神を求めている姿と、誤解している人々が、宗教の道を求める人の中には、意外に多いのです。
それから、この世の仕事のどれもこれもが、自分の心の自由をおさえられて、面白くないので、身心ともに自由自在に働ける道を求める。
実際にそういう道を求めるならよいのですけれども、宗教の集まりの中でそういう道が安易に得られると思って、世の中の仕事を捨てて、宗教の道一本でやってゆこうとする人がいます。
宗教の道で、身心共に自由になるためには、それまでの自分の想いというものを、すべて神のみ心の中におかえしして、神のみ心のままに生きてゆくという、大覚悟がなければなりません。
肉体人間の道から、天の道へ昇ってゆくためには、肉体人間として持っていた自分という想いが一番邪魔になります。
肉体人間の自分をそのままにしておいて、神の道に昇ってゆこうとしても、それは、波長が大分異なるので、無理なことなのです。
(後略)
五井昌久著『自らを信ぜよ』より