(前略)
世界平和の祈りを心の中で唱えつづけていれば、その人の魂は自分が気づかぬうちに、浄まり高まってゆき、立派な人格者として、接する人々の眼に映ってくるのです。
ですから霊位のことを考えることも、仏、菩薩や光明を見ようとすることも必要ないので、もし守護の神霊が、その人のために仏、菩薩を見せたほうがよいと思えば、みせてくれるものなのです。
要は、宗教をやらぬ一般常識人の目でみて、あまり奇異にうつらぬよう、ひたすら守護の神霊に感謝をつづけ、世界平和の祈りをつづけてゆけばよいわけです。
一つの宗教に入ったために、独善的になり、近所付き合いや、知人交友関係が狭まってゆくようでは困ります。
宗教の道に入れば入るほど、心が明るくなり、心が広くなって、多くの人の想いを入れて、それを昇華してゆくことが出来るようになることが本当の宗教者なのです。
いわゆるくさい宗教者にならぬように、と私は願っているのです。
個人が神との一体化を完成し、愛そのものの人格となるとき、国や民族の心も、それだけ調和したものになってゆくことでしょう。
そのために私たちは、世界平和の祈りを根底にして生きてゆこうと思うのです。
(後略)
五井昌久著『自らを信ぜよ』より