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イエス・キリストの風貌と人となり

(前略)

イエスには、説法の深さや霊覚もさることながらその風貌にも、人々を引きつけずにはおかぬものがあったのです。

日には焼けているが、きめの細かい神経のよく行きとどいた皮膚、広い額、あおく澄んだ遠くのほうまで見通すような眼、私にはこの原稿を書きながらも、イエスの澄みきった深い眼が見えてきます。鼻も高いが、素直な形のよい鼻です。

その雰囲気も、光に充ちていながら静かなのです。それでひとたび説法をはじめますと、どこからそんな迫力が出てくるのかと思うほど、よく響く高い声で、力のこもった音声です。その声には、人の心を真理の道に自然と乗せてしまうような、不思議なひびきがあるのです。

私は何も、小説を書くようなつもりでイエスの風貌をいているのではなく、イエス・キリストそのものを、私は霊覚でよく知っているのです。

普通に話す声には、非常に穏やかな声なのに、いったん説法になると、明るい火のように燃えさかる声になるのです。そういう真理に燃えた説法をガラリヤの海辺で、或る時は静かな日差しの中で、或る時は突然吹きまくる突風もものともせず、叫びつづけたのであります。

ガラリヤのあたりは、東方はけわしい山脈になっていて、その高地から突然に風が吹き出して、天候が一変することがありますので、イエスは雨風に打たれながら説法をつづけたことも、たびたびあると思われます。

イエスにとって、山も海も雨も風も、さして恐るるものではないが、人の想いだけが問題だったのです。

「悔い改めよ」と叫びつづけた洗礼のヨハネの後を継いで、人類救済の深い自覚の元に、人類の罪業を背負いつづけて歩まねばならぬ、大犠牲者としての歩みの一歩一歩は、一日も早く人びとの想念が、神のみ光の下で浄められてゆくことを念願する愛の一念だけであったでしょう。

イエスにとって、自己の下に集ってくる信深き人びとが、どれほど可愛かったことでありましょう。釈尊と違って、イエスは若くして世を去りました。そして、釈尊の悟りと異なった状態で、はじめから霊身の波動をはっきり表に出して生きてきた人です。この世の存在期間が短いことも、奥の心は知っていました。

その短い在世中に、自己の下に集まってきた人びとに対する愛の心は、それは深いものであったに違いありません。察するにあまりあります。

まして、自己に近い年令の青年たちに対する愛は、全く師弟というより、兄弟に対する愛情、同志的深いつながりに対する愛情という、禅宗的なものとは異なった、人間性の横溢したものと、私には思われるのです。

イエスは、みずからは神と一体化した人でありながら、その胸中には、横にひろがってゆく人類愛に燃え立った熱血児であったのです。

(後略)

五井昌久著『聖書講義』より