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情緒と科学の融合

(前略)

純化された感情は『情緒』として、神のみ心と一つになった心で、人類が真実の人類として生きるための主要な要素となりますが、低い汚れた感情は業想念波カルマとして人類を滅亡に追いやってしまうものなのであります。

人類が真実に神のみ心をこの地球界に現すためには、人間の心の奥の奥からこの世にまでひびきわたっている知性と情緒とが全く一つに融合して、この世の動きとならねばなりません。

人間とは、肉体という形の存在ではないことは、私がいつも申しておりますが、人間がいつまでも肉体を守るためにのみ働いているようでは駄目なのです。肉体の内深くある霊性の世界に想いをすっかりすえて、そこから働き出さなければいけないのです。

自己の肉体を守ろうとする本能は『獣的な本能』でありまして、これが広がれば国と国との対立となり、民族と民族の対立となったりするのであり、弱肉強食という生き方となってしまうのです。

ですから、肉体の自己を守ろうとする本能を超えられない限り、人類は現在以上の進化は出来ないことになるのです。

しかし、神のみ心、大自然の法則は、無限の進化の法則を人類の上にも及ぼそうとしております。そこで人類はどうしても、獣類的人類から神の子的人類に、必ず進化してゆくことになっているのです。

岡氏のいう人類(※ 獣類としての人類)は滅びる可能性が多いけれど、もし滅びなければ自然に対して、もっと建設的な面に自然科学の目を向けるべきである。それには、先ず人類の心の一番根底の、『人間とは何か』、『自分とは何か』という問題に、腰をすえて取りかかるべきだという、そういう時期に現在はもうさしかかっているのです。

私たちは、すでに宗教面では、“消えてゆく姿で世界平和の祈り“という、業想念波動、つまり汚れた感情想念を、世界平和の祈りという、大乗的な人類愛的な広い深い意味をそのまま言葉に出した祈り言の中で浄化してゆき、そしてその祈りごとがそのまま人類世界の汚れた想念感情を純化してゆくという方法をもって、神の子的人類としての生き方を示しているのであり、一方、今日の科学がおおむね知的な面のいわゆる自我の努力によってのみ生まれてきたと思っているのに反した、祈りによる純粋感情、情緒から生まれてきた”宇宙子波動生命物理学”というものを生み出してきたのであります。

(中略)

この学問が突き進んでまいりますと、人間というものがどのようなものか、自分というものはいかなるものか、という重大な問題が、かなり深く科学的な実証によって判ってくるのであります。

(後略)

※ 岡氏とは、数学者の故岡潔氏(1901-1978)のこと。
五井昌久著『純朴の心』より