スポンサーリンク

最後の審判を苦しみ少なく超えさせる運動

地球には一つの周期がありまして、それを仏教では劫(こう)と言ってます。その一つの劫の終わりにかけて、地球が大変貌する、人類が変わってしまうという時期があるわけです。それをキリスト教では最後の審判と言っているわけです。

地球人類が全部変わってしまう時には、どのようになるのかと言うと、今迄の地球人類の考え方、生き方ではどうにもならなくなってしまう、という状態になるのです。そして、そういう時期が今来ているのです。(中略)

新しい人類が誕生するわけです。新しい人類といったからって、何も皆さんが全部死んでしまって、全然、形の違ったのが出るというのではなくて、今の地球人類の考え方、宇宙観、人生観、人間観というものが、まるっきり変わってしまうということです。

もっと言い換えれば、肉体波動がまるっきり変わってしまって、霊妙なる波動に変わる、というそういう時代が来るのです。それは必ず来るのです。

そういう時代が来る前に、どうしても人類は一つの関門を通らなければならない。今までの古いからだから脱皮しなければならない。今までの生き方を変えなければ生きられない。そういう時期が今だというわけです。(中略)

私には、世界平和の祈り、消えてゆく姿で世界平和の祈りという祈りの方法と、宇宙子波動生命物理学という科学を、神さまが授けてくれたわけです。

その運動とその研究を続けてゆくことによって、それを完成することによって、地球人類が損傷少なく、被害少なく、苦しみ少なく、最後の審判を乗り越えて、新しい人類として生まれ変わってゆく。新しい人類に成長してゆく。

生まれ変わってゆくと言ってもいいし、成長してゆくと言ってもいい。新しい波動の世界に住みなれてゆく、ということになるわけだし、そうさせなければならない、と思っているわけですよ。

ですから、私どもの提唱している、消えてゆく姿で世界平和の祈りという、祈りによる世界平和運動というものは、最後の審判を願わくば無傷で、誰も苦しまないで超えてゆきたい、超えていかせなければならない、という運動なのです。(明日につづく)

五井昌久著『心貧しき者は幸いなり』より