(つづき)五井先生が結婚され、市川市真間の手児奈霊道の近くの二階を間借りして、そこを新居とされてから、信者さんが毎日押しかけるようになった。世話係のある信者さんの提案で、賽銭箱というか感謝箱が置かれるようになった。そこにお金が貯まった頃になると、どうしてもお金が必要だ、という人が出てきた。すると、先生はそのお賽銭箱からお金を出し、あげてしまっていたという。
横関實さんが「我が師を讃仰す」という文章の中に、こう書いている。
「五井先生も奥様も、実に金銭に恬淡な方で、はたから見ていて、もう少々欲があってもよさそうなものだ、と思われるくらいで、ある場合、あまりにもばかばかしくさえ考えられる程である。少しお金に余裕が出来たかな、と思うと誰かに貸してしまう。勿論、そう返す人は滅多にいないから、お貸し下されになるわけである」
横関さんからバカバカしくさえ見えたことは、先生が困った人に感謝箱から、お金をつかみ出して、あげてしまうことであろう。あまりにも度々なので、金銭的に先生にご迷惑をおかけしては申し訳ない、というので、信者の主だった人々と相談し、五井先生にもご承認を得て、会員組織の五井先生讃仰会を設立したのが、昭和二十六年一一月である。
宗教者は、自分のものは一切持たず、お金を持てば、それを貧者に施すものだ、というカソリックの修道僧のような観念が、私の中にあった。だから、自分の生活のために、お金を貯めるなどということは、少しも考えなかった。
五井先生がお仲人をしてくださって、家内との結婚が決まった時のことだ。朝、道場へ向かう電車の中で、五井先生が何気なくおっしゃった。
「高橋くん、お金を貯めなさい」
その言葉を聞いて、私はびっくりしたものである。五井先生がそんなことをおっしゃるとは、夢にも思わなかったからである。そう私にすすめられたのは、私があまりにも世間知らずだったからかもしれない。
必要なものは神さまから必ず与えられるのだ、という鉄則というか、宇宙の真理に徹していらっしゃった先生は、ご自分の生活のことなどひとつも心配されていなかった。そういう実生活を目にし、また、宇宙の法則に沿った実生活とはいかなるものか、を耳にするたびに、私もそういう生活を送りたいと思っていた。
「お金を貯めておきなさいよ」というお言葉を、そういう先生からあらためてお聞きしたのだから、忘れることは出来なかった。
天にばかり偏らない、といって、金銭欲にまみれる地にも没しない。天と地との中間で、調和の取れた生き方をするのが、五井先生の教えてくださった日常の生き方である。(つづく)
高橋英雄著『五井せんせい: わが師と歩み来たりし道』より