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宗教は遊び事ではない!

(前略)

この間も言いましたように、世界人類が平和であるということは、過去の過去の歴史をずうっと遡った聖者たちが、みんなそう思っているんですね。

今まで生まれた聖者というものは、みんな地球の平和というものを目指して、教えを説きに来ているんです。そしてこの肉体に生まれて、また、あちらの世界へ行ったわけですね。(中略)

そういう聖者たちが、”世界人類が平和でありますように”だけを大眼目として、突き進んでいる人のところに、集まって一緒に結集してやらないわけがない。わかりますか?

世界人類が平和でありますように!
地球世界が平和でありますように!

こうして、これだけを唱えている立場の者のところにですよ、各聖者が居眠りをして、黙っている奴はないんだ。

“そうだそうだ、その通り、あなたの言う通り私達もやりましょう”と来るのは、当たり前でしょ。そんなことはいささかも不思議ではありません。

キリストが来ようが、釈迦が来ようが、老子が来ようが、何の不思議もありません。わかりますか?私は大言壮語しているのではありません。(中略)

地球世界が平和でありますように、ということだけを題目にして、それだけのために生きている人のところに参加しない聖者がいたら、そんな聖者は糞たれ聖者だ!

あらゆる宗教家が、あらゆる人間の幸福を願う者が、世界平和のために結集しないという馬鹿なことはありません。

見ていてごらんなさい。誰も彼も、みんな世界平和の祈りをやらなけりゃならなくなりますから。

何も一介の五井昌久なんて肉体の人間などどうでもいいんだ!こんな肉体なんかどうでもいい。いいですか、個人なんてどうでもいい。

世界人類が平和でありますように、という、大きな大きな光の柱の中に、みんなが結集して働けばいいんですよ。そういう心をみんな持ってください。(中略)

これからいろんなことを言う人がいると思います。何だ五井なんて奴が、世界平和をなんとかと言って威張っている、と言ってきたって、あなた方の信念が強ければ大丈夫ですよ。

いいですか?五井昌久という個人はもうおりません。五井先生という人は、世界平和のためだけに生きているんです。他に何にもありませんから、そのつもりでみんな協力して、世界平和の祈りをやってくださいね。

寝ても覚めても世界平和の祈りをやりますと、自分の霊体がどんどん光り輝いてきます。宗教は趣味ではありませんよ。宗教を趣味にしている人はやめた方がいい。

宗教とは、自分の生命を磨くためにあるのです。魂を磨くためです。世界人類の魂を磨くために、あなた方が先達として、魂を先に磨くのです。

いいですね。宗教は趣味ではありません。遊び事ではありません。生命をかけたものです。生命をかけた、生命を捨てるといっても、肉体の生命を捨てるという意味でもないんですよ。

生命をかけるということは、すべてを投げ出して、生命を磨くことです。神さまと一つになる運動が宗教の運動です。

神さまと一つになれば、必ず世界は平和になります。それを私が話をしに来、あるいは実行して見せに来たんです。

ここにはイエスもいます。釈迦もいます。老子もいます。金星の長老もいます。弥勒如来もいます。みんな光り輝いてここに一緒に働いています。だから私は落ちついているんですよ。

みんなが結集してやっていることを知っているから、何も怖くない。みなさんの後ろにも、ここについている大光明の神々が、みんなついて守っています。一人一人をみんな守っています。どれだけいるかわからないですよ。

神々はみんな、みなさんを守りつづけに守っていますから、あなた方が世界平和の祈りをやっていて不幸になることは絶対にない。それを固く信じてください。

(後略)

五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より