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神体の磁場を現わす生き方

(前略)地球科学で電磁場というのがあります。つまり電気が流れると、そこには必ず磁場と電場が生じるのですね。

それと同じように人間の想いというのは、幽体という磁場、つまり想いの波の流れる場所があって、そこに想いがいっぱいあるわけです。

肉体にも磁場があり、霊体の磁場も、神体の磁場もあるわけです。

神体の磁場というのは、ズーッと大きく、宇宙に広がっているのです。

そうすると、神体の磁場で大生命からの光が流れて、それが”働き”となるわけです。

それが霊体を通り、幽体を通り、肉体にスーッと流れて来れば、神のみ心がそのまま伝わってくるわけです。(※その状態になると)神さまの行ないが素直にそのまま出来るのです。

それが霊体までは来る。幽体でもってクチャクチャと思っていると、想いがいっぱい詰まってるから光が入って来ないんですよ。光が屈折してしまう。ずれちゃう。

そうすると幽体、肉体にたまっている、詰まっている想いが出て来て、無為にしてなさないで、”ああしよう、こうしよう”と、いつもいつも思い巡らしながらやってるような生き方になる。

この自分の幽体で思っている想いを、「神サマー」って神さまの中へ投げ出しちゃうわけね。

そうすると、想いが守護霊守護神の霊体神体を通して、自分の神体の中へ入ってゆく。

神体に入ってゆくと、いうなれば穴が開くわけだ。(※そうすると生命光の)通りがよくなる。

すると神体の磁場で行なわれている生命の動きが、スーッと肉体まで通って来るわけです。(後略)

五井昌久著『空即是色―般若心経の世界』より