(前略)今日の様相をごらんになって、人間が今日のこのままの想念で、このままの行いに生きていて、果たしてこの地球を滅亡させずに保てるでありましょうか。自信をもって地球人類は滅びない、といえる人はほとんどいないのではないかと思います。
この地球の危険な状態を防ぎ、地球世界を平和にするためには、「何か大きな力が必要である」と誰しもが思っているのであります。スーパーマン・救世主を待望する想いは、オカルトブームを巻き起こそうとしていたり、新しい宗教が次々と現れたりしていることでもよくわかります。
ところがこの想いの中には、自分たちはあまり苦労しないで救われる、そういうスーパーマンや救世主を待ち望んでいるようなのです。自分たちは少しも犠牲精神をもたずに、「他人の力でこの地球を救ってもらおう」と思っている人々が多いのであります。
「この地球は自分たちの住む地球である」、「この国家は自分たちの国家である」ということをあまりはっきり考えもせず、自分たちの生活の安泰がすべてであるようにさえ思える行動をしながら、地球世界や国家の安定を望んでいるのであります。
それは実に虫のよい話でありまして、過去世から積んできた自分の業は、すべて自分で払わねばなりません。自分の借金を人に払わせようなどという精神は、人間として最低の精神です。
しかし、守護の神霊方は、「その借金を自分たちが払ってやろう」とおっしゃっているのです。ただし、「自分たちのほうに一心に想いを向けていなければ、救いたくとも波長が合わずに救えない」といっておられるのです。
常に守護の神霊への感謝の想いをもっている人は、確かにその人の業を、守護の神霊が肩代わりしてくれているのです。
世界平和の祈りと守護の神霊への感謝で貫かれているような生活をしている人は、過去世の悪業が大きく積まれていても、それはその人の苦しみ少なく、見事に浄められてゆくのであります。
人間が人間に救いを求めても、それはごく限られた救いしか与えられませんが、守護の神霊への感謝と、世界平和の祈りとの生活をつづけてゆけば、霊肉ともなる大いなる救われを得るのであります。
三界(迷いの世界)の業生の世界にお互いに住みながら、「救おう」、「救われたい」といっていても、それはわずかな救いであり、救われでしかありませんし、救う方は大きな精神や物品の損失を伴い、救われる方は、一瞬にして消えてしまうほどの救われで、満足する程の救いを受けることはできません。しかしながらこの地球世界には、三界の業生の渦の中から抜け出せずにいる人々が大半住んでいるのです。
大神様はそのことをよく知っていらっしゃるので、はじめから各自に守護の神霊をつけたり、時代時代に大小の菩薩や天使方を派遣されておられるのです。そして、それらの大犠牲的働きによって、地球人類は今日までかろうじて滅亡せずに来ているのであります。ですから一般大衆は、日々神への感謝の想いを持ちつづけていなければならないのです。(後略)
五井昌久著『純朴の心』より