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一なる大生命に統一するために

もって清きこと無ければ、まさに恐らくは裂けんとす。地以てやすきこと無ければ、将に恐らくひらかんとす。しん以て霊なること無ければ、将に恐らくはまんとす。谷以てつること無ければ、将に恐らくはきんとす。万物以て生くること無ければ、将に恐らくは滅せんとす。侯王こうおう以て貴高なること無ければ、将に恐らくはつまずかんとす。

『天以て清きこと無ければ、将に恐らくは裂けんとす』ということは、実に真実のことでありまして、この地球上の天変地異は、すべて天のけがれが一の力によって浄められるときに起こるものであります。天の汚れとはどういうものかと申しますと、この地球界の主宰者は人類なので、人類の想念波動によって、どのような光明界にもなり、地獄絵ともなるのです。

人間の一人一人の発している想念が汚れたものであれば、地球界はそれだけ汚れるのであります。そうした人類想念の汚れは、地球界を包んでいる天をも次第に汚してゆくのであります。この汚れがあまりにもひどくなりますと、一の力、つまり大生命の力が、この汚れを祓うために、それまで働いていた以上の力を注ぎ込むことになるのです。そういたしますと、その汚れが一瞬にして祓われまして、その様相が、いわゆるカルマ波動の消えてゆく姿として、大天変地異となるのであります。これが、『将に恐らくは裂けんとす』なのであります。

『地以て寧やすきこと無ければ、将に恐らく発ひらかんとす』もはやり同じ意味でありまして、この災害を防ぐためには、人間側が、天変地異に先んじて、自らが一の中に自分たちの想念波動を入れきってしまわなければならないのです。これが祈りなのであります。そしてこの祈りの最高の方法が、世界平和の祈りなのです。世界人類が平和でありますように……、この祈りこそ、人類が一を得る最上の方法なのであります。

『神以て霊なること無ければ、将に恐らくは歇やまんとす』、この神ということは、先にも申しましたように霊魂ということでありますが、もっと深くいえば、地球世界の人類の五感に触れない様々な生命体、守護の神霊をも含めたものともいえます。この守護の神霊といえども、守護の神霊単独で働いているのではなくて、一なる大生命の力を得て、人類守護の任に当たっているのであり、その神通力を表しているわけでありますから、大生命即ち大霊から流れてくる霊光が絶えてしまえば、その働きが出来なくなってしまうのであります。この守護の神霊の働きを自由になさしめ、祖先や縁者の霊魂の働きをたやすくするためには、肉体人間側が、常に祈り心一念の生活をしていることが必要なのです。

何故祈り一念の生活が必要かといいますと、祈りというのは人間の想念を、生命の根源、つまり老子のいう一の中に常に入れきっている姿をいうのでありますから、人間が霊そのままの姿になっているわけです。従って、人類全体の業想念波動の中にいても、本来の神の子の姿そのもので生活していられるのです。そこで、そうした光明的なひびきは、守護の神霊の働きを一つのひびきとなり、守護の神霊の働きを楽にし、諸々の霊魂の巧妙化にも役立つのであります。

『谷以て盈みつること無ければ、将に恐らくは竭つきんとす』以下すべて、一を得ることによって、それぞれの本来の働きが出来るのであり、一の力が働かなくなれば、すべてはその働きが消滅してしまうものである、というのであります。

五井昌久著『老子講義』より