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すべては人を救うための魂の経験③

(つづき)

(中略)飛んだり、跳ねたり、大声で叫んだりする人もあれば、固くなって倒れてしまう人もあれば、いろいろな人がいるんですよ。

私がそういう経験をしていないと、その場で光を当てる役目としてわかっていても、やっぱり気持ち悪くて嫌でしょ。

ところが私は、そういうことをよく知ってるんです。いろんな人を見て、いろんな体験をしていますから、霊障のことは守護神が私にいろんなことをさせましたから、大体みんな知ってるんです。

こういう形はこうだと、体験としても知ってます。だから、これは何時間、これは何年かかるということがわかるんです。

それで、どんなに飛び上がろうと、跳ねようと、騒ごうと、息が出来なくなろうと、ニコニコやっておられる。それは、自分に自信があるから。経験を積んでいるからね。

経験を積んでない、ただ知識だけで仏教哲学をやった人は、お坊さんでもたくさんあります。そういう人のところへ霊的な人が行って、急にピーンと固くなってごらんなさい。

坊さん、どうしていいかわからない。お経などあげても間に合いやしない。息が出来なくなっちゃったという時には、長いお経をあげても間に合わないですよ。

体験を積んだ人は、こういう時はどうやればいいということがわかるんですよ、自分の体験から。そこで、その人に一番必要な体験を積ませるんです。

いろんな体験を万般積んで、初めて仏になるんです。体験を積まない仏様はないんですよ。

菩薩になるんだって、過去世において、いろんな体験を積み、今生においても体験を積んで、どんなものが来ても大丈夫だ、というんで菩薩になるんですからね。

だから、自分がちっとも勉強しないで、他の人がみんな代わりにやってくれて大学を出たような人は、サァ今度は生徒を教える時に教えられないでしょ。自分がわからないから。

自分で苦労してやった人はわかります。どんなことでも教えられる。どういう問題も解けるわけですから。

皆さんのところにいろんな障りが来たりする場合でも、「ああ、これは私の魂の力をつけてくださるんだ、私に体験をさせてくださるためなんだ、有り難いなぁ」という気持ちになりますと、体験が済んでしまう。

感謝で受けると、それはもう卒業なんです。

(つづく)

五井昌久著『講話集〈5〉いい時に生まれた (講話集 5)』より