(つづき)
(中略)飛んだり、跳ねたり、大声で叫んだりする人もあれば、固くなって倒れてしまう人もあれば、いろいろな人がいるんですよ。
私がそういう経験をしていないと、その場で光を当てる役目としてわかっていても、やっぱり気持ち悪くて嫌でしょ。
ところが私は、そういうことをよく知ってるんです。いろんな人を見て、いろんな体験をしていますから、霊障のことは守護神が私にいろんなことをさせましたから、大体みんな知ってるんです。
こういう形はこうだと、体験としても知ってます。だから、これは何時間、これは何年かかるということがわかるんです。
それで、どんなに飛び上がろうと、跳ねようと、騒ごうと、息が出来なくなろうと、ニコニコやっておられる。それは、自分に自信があるから。経験を積んでいるからね。
経験を積んでない、ただ知識だけで仏教哲学をやった人は、お坊さんでもたくさんあります。そういう人のところへ霊的な人が行って、急にピーンと固くなってごらんなさい。
坊さん、どうしていいかわからない。お経などあげても間に合いやしない。息が出来なくなっちゃったという時には、長いお経をあげても間に合わないですよ。
体験を積んだ人は、こういう時はどうやればいいということがわかるんですよ、自分の体験から。そこで、その人に一番必要な体験を積ませるんです。
いろんな体験を万般積んで、初めて仏になるんです。体験を積まない仏様はないんですよ。
菩薩になるんだって、過去世において、いろんな体験を積み、今生においても体験を積んで、どんなものが来ても大丈夫だ、というんで菩薩になるんですからね。
だから、自分がちっとも勉強しないで、他の人がみんな代わりにやってくれて大学を出たような人は、サァ今度は生徒を教える時に教えられないでしょ。自分がわからないから。
自分で苦労してやった人はわかります。どんなことでも教えられる。どういう問題も解けるわけですから。
皆さんのところにいろんな障りが来たりする場合でも、「ああ、これは私の魂の力をつけてくださるんだ、私に体験をさせてくださるためなんだ、有り難いなぁ」という気持ちになりますと、体験が済んでしまう。
感謝で受けると、それはもう卒業なんです。
(つづく)
五井昌久著『講話集〈5〉いい時に生まれた (講話集 5)』より