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役行者はかく語る①

(前略)役行者は自分でもって、この体(肉体)をスッと消すことができた。

統一したままで姿が消えちゃったんだから、すごい意志力というか念力ですね。

そういう念力の持ち主でありながら、消えてしまってから何をやったかというと、「自力では駄目だ」と思ったんだね。

「自分の力では限度があって、いくらやっても駄目なんだ、だから全部大神さまの中に入らなきゃいけない」というんで、”全託する”というところに入っていったわけです。

それで救世の大光明の中心者になったんですよ。

よく滝に当たったり、水をかぶったり、山にこもったり、今時やってる人もあるけれど、そんなもの昔の修験者から比べたら、ものの数ではない。

昔の役行者一統の修験者の難行苦行なんていうのは、もう言語に絶するんですよ。

狼や獣ばかりがいる山にこもって、食物もなければ何もない、雨風にさらされても平気。

誰もひと気のないようなところ、魑魅魍魎ちみもうりょうがいるところで、スーッと座って修行出来るなんていうのは大変なことですよ。

チベットの仙人たちもやっていますね。

そういうことを昔の修験者はやってたんです。

その修行のさまなんていうのは、今の人が「滝にあたって行をしました」、「山にこもって修行をしました」、「断食しました」、そんなのとはてんで桁が違うのですよ。

だからどんなに修行したって、昔の修験者の修行には及びもつかないんですよ。

それほどやって生命をかけ、肉体をすべて捨てて、修行に修行を重ねた役行者のような人のいうことは何かというと、「全託あるのみ。宇宙神のみ心の中に全部投げ出す以外に悟る方法はないぞ」ということ。

そして私のところに来てるわけね。

実は私なんだ。(つづく)

五井昌久著『空即是色―般若心経の世界』より