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死んでも人生は終わらない(前半)

私が毎回のように申しておりますが、人間というのは、肉体を纏(まと)った、こうした肉体身だけではないのです。

肉体身は人間生命の纏っている一つの衣であって、人間そのものではありません。

不幸な境遇の人たちがよく言う言葉ですが、こんなに不幸なら、死んでしまったほうがよほどましだ、という言葉です。死んでしまう、つまり肉体身を滅ぼしてしまえば、それで自分の不幸な境遇が消え去ってしまうと思っている、そうした人の考えこそ、より不幸な考え方なのであります。

死んでしまう、肉体を滅ぼしてしまえば、それで自己の意識が無くなり、自分というものの存在がすっかり無くなってしまう、と思っている唯物的な考えほど、愚かしいものはありません。

どのような方法で肉体を死なせたとしても、その人自体が死ぬわけでもその人の自己意識が無くなるわけでもありません。

その人は、或る瞬間は睡(ねむ)りと同じように、意識を失っていることはありますが、やがて時間がたつと、失った意識が復活してくるのです。そして再び、自分の存在をはっきり認識してくるのです。

そして、肉体界にいた頃の業想念の渦の中に巻き込まれてゆくのであります。しかしながらその人には、もはや肉体はありませんので、肉体身より微妙な波動の幽身の中で、その人の想念が循環し、行為となってゆくのです。(つづく)

五井昌久著『生きている念仏』より