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芸術精神と宗教精神③

(つづき)儲けよう、名前を売ろうとの欲だけで、世に出るのでは駄目です。何か人のためになることをやろう。世のため、あるいは国のために何かをしよう。というような心を持つように、子供たちを導くことですね。

それには伝記などもよいでしょう。偉大な一人の人間が通ってきた道は、必ず心を高め、深めてくれるに違いありません。下手な説教よりは、ずうっと為になるのです。

芸術と宗教をうまくとり合せてゆくと、その人に潤いが出てきます。理屈ではなく、直感的ひらめきが出てくるようになるでしょう。

ともすれば、一定の理論にかたまり易い宗教者の日常生活に、潤いを出すことが大切です。私は芸術的雰囲気のある宗教、そんな宗教であってよいと思うのです。

感情を高めなければ、人間はよくなりませんし、情緒ある人間、高い感情をもつ人間にさせるのが、宗教の役目でもあるからです。一番大事なのは感情です。立派な感情を持った人は人類を高めます。

哲学思想だけで、それが行為として現われぬ以上は、頭脳の遊びになってしまいます。偉大な音楽家の偉大な音楽は、習いおぼえたお説教や哲学思想より、直接、素直に、高いひびき、神のみ心を胸の奥にひびかせるのです。

この素晴しい音楽を奏でることによって、世界がどれほど潤っているか、それは考えもつかないくらい偉大なことなのです。何回もいうようですが、よい音楽を数多く聴くことです。音楽にまさるものはありません。

ショパン、シューベルト、モーツアルトなどは三十代の若さで肉体を去りましたが、彼らの作曲した音楽は、今もなお私たちの心を浄め、暖めてくれています。彼らの生命は永遠に音楽として生きているわけです。ベートーヴェンなどは、霊界においては、高い霊団として働き、地上界にあっては、ひびき高い音楽として働いているのです。(つづく)

五井昌久著『生命光り輝け-五井昌久講話集1』より