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いのちを投げ出して祈る人がますます増える(前半)

今、先達みたいになっている(中略)人たちは、自分の体全部を、いのちを、世界平和の祈りの中に投げ打って、宇宙人と手をつないでやろうと思ってますが、その人たちがお山といっている所が市川にありまして、(市川市中国分旧聖ヶ丘道場)そこに行って一生懸命統一しています。

そのまわりには、午前十時に祈ったり、午後三時に祈ったりしている人が、集団で祈っています。またその外部にいる方々が家にいて祈っていますよね。

そういう祈りに助けられて、中心になって祈っている人たちが光り輝いてくるんですよ。そこへ宇宙人が(中略)現われて、地球を宇宙の一員にしてくれるわけなんですね。そういう運動を世界平和の祈りを根底にして、今やっている。

今働いている人たちはみんないのちを投げ出しています。肉体なんか全然問題にしていません。それでいてその人たちが家の仕事が出来ないかっていうとそうじゃない。家の仕事もちゃんと出来る。(中略)

みんな明るくて、ニコニコしています。まるで幼子のように……。「おまえが悪い」なんて言っている人もありません。斉藤さんと村田さんにしろ、(中略)わざとほめているんじゃないんですよ。心からお互いにほめ合ってやってるんですね。そういう団体というのは少ないですよ。どこの団体へ行っても、影じゃ、あのやろう生意気な……、なんだかんだいってやってるでしょう。

大概そうですよ。教団なんか行って内部を見るとゴチャゴチャやっている。面と向かえば、ハァそうですな、なんてやって、ニコニコしているように見せて、ちょっと離れると、自分の部下などいると、”なんだい……”とやっている。私には聞こえてきます。みんなそういうのが多いんです。

そうでなきゃ、自分の教団だけの財源を増やし、うんと大きな建物を建てて、形の上で権威を見せようとする。そういうことは馬鹿げたこと。形の上で権威を見せてなんになるか。たとえ一万坪の家を建てたって、五万坪の家を建てたって、宇宙の人間全部が入れないでしょう。百万坪の家を建てたって、日本人全部は入れやしないんですよ。日本人全部入れる建物なんかなくたって、いくらだって自分の教えを伝えることは出来ます。世界平和の祈りなんかそうですよ。
(つづき)

五井昌久著『天命を信じて人事を尽くせ (聖ケ丘講話)』より