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本当の宗教生活は業想念を超えた処にある①

(前略)皆さんは世界平和の祈りの中に入っています。幸せですよね。そんなこと考えもしない人がどれだけたくさんいるか。

皆さんは私と一緒になって、世界平和の祈りをして、その平和の祈りの大きな力をみんなに知らせたく思っていらっしゃるわけですよね。

思っていながらもいつの間にか、世界平和の祈りがどっかへ行っちゃうんですよ。

自分だけの幸せとか、自分自身が満足することに懸命になってしまって、満足しないと嫌になってしまう。

自分の想いの満足ばかりを追いかけていたら、その人は非常に不幸な人です。

なぜなら、自分が満足しようという想いの中には、ほんとうの満足はないのです。

欲望はどこまで行ってもある。神のみ心は絶対なものでしょ。それは完全円満であらゆる力を持ち、あらゆることができるわけです。

そこまでに人間はなれない。大神様と一つにはなかなかなれやしない。なるためには、あくなき精進が必要です。

精進して精進して、自分というものが全部なくなって、何もなくなった時に、初めて自由自在な神のみ心そのままの自分が出来上がって、なんでも自分の思うとおりになるわけです。(つづく)

五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より