業想念波動を、神の大光明の中に入れきってしまえば、自(おの)ずから生命本来のひびきが、そのまま障碍(さわ)りなく、地球人類の上に伝わってくるのでありまして、ここに個人の生命も生き生きと働き、人類全体の生命も、自他の運命を損なうことなく、生き生きと働きつづけることができるようになるのです。(中略)
世界平和の祈りというのは、全人類の悲願であって、如何なる宗教者といえども、どのような唯物論者であろうとも、反対の声の出るようなものではありません。それがそのまま祈り言になっているのですから、誰でも、どのような立場にあっても、世界人類が平和でありますように、とは唱えられるのです。
その唱え言の中に、自他についての把われの想いをすべて入れきってしまう習慣をつけてゆけば、巧まずして、想念の転換が行なわれてゆき、いつの間にか、業想念波動が光明波動に変わってしまうのです。(中略)
この世界平和の祈りの中から個人の生命はさわりなく輝き、人類の業想念波動は次第に浄められてゆくのであります。
五井昌久著『神は沈黙していない』より