(前略)神さまのみ心そのままで、もう初めから終わりまで無始無終の永遠の生命の中にスッポリ入っていれば、神さまから離れた想いがあるわけがない。そのままでいいわけなんです。
そのままその場で智慧が出てくる、その場で力が出てくる、そういう形になるわけです。
だけれども、そこに行くのがまた大変なんです。業想念の中を通ってこないと、そこに行かないんです。
「肉体世界のいろんな経験を経て、いろいろやって、いろいろ考えに考えて、こうして勉強したけれども、だけどもまだまだ何もわかっていないんだな、自分は……」と想った時に、初めて本当の統一になったりする。
それで今まで経験した、体験したことが生きてくる。
生きて、パッパッと浮かんでくるわけです。
さらに、この世ではまだ体験しないような智慧がそれに加わってくる。
だから、考えたい人は考えて考え抜いたほうがいいんです。
その場そのものを、その自分のもっている持ち味を生かし切った時に、持ち味以上のものが出てくるんです。(後略)
そうすると、持ち味を生かし切った時に、その持ち味からもっとずっと、ああ自分にこんな力があったのか、こんなことも出来たのか、ということが出てくるわけです。(後略)
五井昌久著『我を極める―新しい人生観の発見』より