浄めというのは何かというと、光が業想念を祓うことです。
きれいに掃除することです。
ですから私はクリーニング屋、洗濯屋だというんです。パンパンと拍手を打って、光を送り、業想念をきれいにして「ハイ出来上がりました」「ありがとうございました」と帰る。洗濯された人はなんだかきれいになって気持ちがきれいになるから、顔もきれいになる。
『神と人間』に”想念以前のひびき”と書いてありますが、想いを出す前のひびきというものがあるのです。
それは神の光なのです。
神の光がみなさんの体の中へ入ってゆく。体というのは、肉体もそうだし、幽体もそうだし、霊体もそうです。神体もあるのですが、神体というのは、霊体として働くから、人間は三つの体をつけている。
その三つの体が同時にきれいになるのです。
神さまの世界の光が神体から流れてきて、霊体へ入り、幽体に入って浄め、肉体まで浄めてゆく。肉体が浄まるということはどういうことかというと、幽体というのは潜在意識の場ですから、潜在意識の汚れた部分をきれいにしてしまう、そうすると、幽体が透明になってきて、その人は柔和になり、運命もよくなってくる。
病気もよくなる、ということになるのです。その役を(私は)毎日毎日やっているんです。
五井昌久著 『不動の心-五井昌久講話集5』より