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真理の追究と現世利益③

(つづき)また他方、現世利益になりますと、病気を治すために神さまに頼む、貧乏を直すために頼む。

そうすると、実際にお金が儲かるかも知れない、病気が治るかも知れない。しかし、いつも誰かに頼って、心がずるいことばかり考えているわけです。

永遠の生命を出すのではなくて、何かいつもご利益だけをもらいに行く、ご利益のために神さまを信仰してゆく、そういう打算的になるわけです。これは唯物論と同じこと。

現世利益ばかり願っているということは、魂が立派にならないことです。生命の力が増さないのです。

いつもうまい汁を吸おうとしている。

その場その場はいいかも知れないけれども、その人の魂の面から見ればマイナスになり、やがて必ず、それを返さなければならないときが来るのです。7

例えば自分が一つのものしか得られない因縁を持っているとする。それを神さま(守護の神霊ではない、幽界の生物が応援してやってくれる)に頼んで、十もらったとすると、九というものは自分のものではない、借りなのです。

借金ですから、いつか必ず返さなければならない。いっぺんに取られるかも知れない。そういうことをしていたのでは、自分の生命が自由に生きられない。いつも借金して生きているようなものです。

だから、そういう教えも半端だということになります。

私はどういうことを考えたかというと、”本当の真理の教えもそのまま行なえ、しかも知らない間はご利益もある”、ということを教えなければならないと思った。(つづく)

五井昌久著『空即是色―般若心経の世界』より