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真の理性と直観力で生きる

人類はそのまま神に直結しているのです。その真理を、どうしても人間は、肉体という物質体の内側から生命の働きがなされているように思えて、素直に受け取れないでいるのです。

人間は肉体であって、肉体に制約されたものであって、神のように自由自在な存在ではない、という人間の想いが、いつも神と人間との隔たりとなってしまって、神の力をまともに受け取ることができなくなってしまっているのです。

祈りというのは、こういう神と人間との隔たりをなくすためにするのであります。分霊魂魄として肉体頭脳を駆けめぐる想念を神そのものである直霊(自らの本心、本体)の座まで昇華させ、直霊の光明の中で浄めに浄める行が祈りなのです。

この祈りを常につづけておりますと、肉体と直霊(神)との隔たりがいつの間にか取れてしまいまして、神の光が肉体から放たれるようになるのであります。

祈りの中でも、小乗の祈りと大乗の祈りとがありますが、私の提唱し実施している世界平和の祈りは、大乗の祈りでありまして、小乗の想いが、自然とこの大乗の祈りの中に昇華してしまっているのです。

“世界人類が平和でありますように、”この一行に示されているように、個人の願いが、世界人類という、広い範囲にひろがって、個人と世界人類とは全く一つに解け合ってしまうのであります。

そして、次の一行の、”日本が平和でありますように”という祈り言で、日本、つまり祖国日本と、霊(ひ)の元という、人類の根源の世界と個人との融合がなされるのであります。

三行目の、”私たちの天命が完うされますように”という願いの言葉でも、単に個人の幸福を願うという小乗的なものではなく、小乗を大乗に昇華させた、「神の使命を達成させ給え」という祈り言なのです。

あとは、守護の神霊への感謝でありまして、この感謝の想いがなくては、この世界平和の祈りは成り立たないのであります。

私が守護神の厳しい薫陶によって、今日の霊覚を得、”人間誰の背後にも、守護の神霊は守りに守りつづけていられるのだ”ということを、実感として体験したのでありますが、この地球世界を守りつづけ、より一層の人類の進化を計るためには、肉体人間と守護の神霊との緊密なる一体化が必要なのです。

その一体化を実現するためには、守護の神霊への感謝の想いを持ちつづけ、世界平和の祈りを根底にした生活を、多くの人々がなしつづけてゆくことより他に方法がないのです。

真の理性でよくよく考えてみても、肉体人間の考えだけで、この自我欲望の渦に巻き込まれている人類を、平和そのものの人類にしてゆくことはとてもできない、ということがわかります。(中略)

真の理性ではっきりそのことを認めたら、今度は真の直感に走るべきで、真の直感は、守護の神霊への感謝を基にした、世界平和の祈りの中から、自ずと湧き起こってくるのであります。

ですから、真の理性で事を為すにも、真の直感で事に当たるのも、すべて、守護の神霊との一体化によって、なされることになるのでありまして、守護の神霊への感謝なくして、人類の今後の進化はあり得ないのです。

人類は今日までの唯物思想の欠点をよくかみ締めて、地球滅亡を防ぎ、地球人類の進化を計ってゆかねばなりません。今日からは、神が存在しないなどという唯物論は、嗤うにたえぬものになってきます。

大宇宙の進化は、たゆみなくつづいてゆくのであります。地球人類がその進化に取り残されては滅びるより仕方がないのです。今こそ真の祈りをもって、地球人類の進化を促進させてまいりましょう。

五井昌久著『信仰と直観』より