(前略)消えてゆく姿というものは、自分が消すんじゃないんですよ。
よく間違えて、自分が息張って消すんだと思ってる。それで、「消そうと思うんですがなかなか消えないんです」と言う。
自分で消そうとするのは自我です。あるいは、自力と言うんです。
自分で消せるようならば、みんな悟ってしまって楽なんです。自分で消せないところに守護霊・守護神がいて、神様の愛が本当にわかるんですよ。
この世というものは、自分で消せないんですよ。なんにも消せないんです。自分で消すものは一つもない。
みんな守護霊守護神が消してくれる。
自分で消そうとすると、たとえば「自分は短気なんだ、これを消さなきゃ」って、消そう消そうと思っても思っても出てくる。
「自分には恐怖心がある。恐怖してはいけない。だから恐れまい恐れまい」と思う。思ってると余計に恐ろしくなる。――そういうような体験があるでしょ。(中略)
それは自我なんです。力みなんです。勇気ではなくて、力みなんです。
よほど強い人でなければ消せない。ふつう一般の人にはそれができない。
そこで、消してゆく姿じゃなくて、消えてゆく姿なんですよ。
消してゆく姿とは言ってないでしょ。
消して(決して)言ってません。(笑)(後略)
五井昌久著『講話集〈1〉神様にまかせきる (講話集 1)』より