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本当の宗教生活は業想念を超えた処にある②

(つづき)ところがそこまで行きもしないで、自分が満足したいという想いがあったらば、中途半端になっちゃいます。

それだったら、世界平和の祈りなど全部やめて、自分の満足のために、自分の力、能力をもって、フルに体をぶつけてやればいい。

それでなかったらば、全部世界平和の祈りで、神様のみ心の中に死ぬ気で入れちゃって、自分の心がどんなに苦しくても悲しくても、世界平和の祈りの中に入りどおしに入らなければダメです。

今は滅びるか救われるかのどっちかです。中途半端な時代ではないのです。

中途半端な宗教など成り立たないのです。「中途半端な宗教なんかやめなさい」と言うんだ。

そんなものやめてしまって、唯物論者のように、自分の力で人を押しのけて、どんどんやった方がいい。どっちかにしろって言うんだ。

やるならやるで全託して、神様の中にしゃにむに、なんて言っても、どんなに苦しくても、胸がかきむしられても、血を吐いても、平和の祈りの中に入っていかなければダメだ。

どっちかだね。

ご利益信仰だけで足りる人は、ご利益信仰に行くがいい。(つづく)

五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より