(つづき)心の修行ということが最大の修行です。
体の修行など二の次、三の次です。
心の修行が出来ると、体が自然に修行してゆくわけです。
力道山のことを言うんじゃないけれども、(中略)あれだけ鍛えられた人が、短刀で刺されたくらいで死んじゃうでしょう。
いかにいかに人間が肉体を鍛え鍛えたとて、たいしたことはないということがわかるでしょう。
何が一番大事かというと、心を鍛える、要するに、想いを鍛える。
想いが乱れない、恐怖が起こらない、弱らない、そういう想いにしなければならない。
何があっても心が平然として澄み切っていられるような、そういう人間になることが一番大切ですよ。
それは、永遠の生命を得たことです。
心が何事があっても乱れないということは、永遠の生命を得ることなんです。
肉体はいくら鍛えたって、死んでしまえばそれまで。
あとは心の在り方です。
高くも行けば低くも行く。
心が全部決定する。
心というのは想いのことです。
想いが乱れなきゃ心が平静なんです。
心と想いというのは本当は別のもので、心の上を想いが往ったり来たり走ってるんだからね。
心というものは神さまの光そのもの、生命そのものです。
想いが往ったり来たり走らないで、ピタッと本心の中に入ってしまえば、スカーッと光り輝いちゃうわけです。
そういう人間になることが一番大事なことです。(つづく)
五井昌久著『空即是色―般若心経の世界』より