空飛ぶ円盤にはいろいろな形があるのです。たとえば電灯の笠のような形、鈴のような形、細長い形とあるわけです。
村田正雄さんの円盤同乗記がありますが、村田さんばかりでなく、他にも空飛ぶ円盤に乗った人があります。
ただまだ実証的に皆さんの眼に見えるように、写真に写したり出来ていないのです。
いわば霊眼というか、霊眼よりちょっと深いもので見ている霊的現象なのです。
しかしそれは本当のことで、私もちゃんと知っています。
見えるということは在ることなのです。それは幻想といえば幻想でしょう。ところがそれが実現します。
実現しないうちにあまり言うものではないけれど、今日は言っていいことになっています。
ということは、私が話している時に、この中に(ご自分を指して)金星の長老が来ているんです。霊眼の備わっている人は見えるでしょう。
その金星の長老が「現われる」というんです。
向こうが現われるよ、と言っているのに、それは違います、とは言えない。
それなら勝手にせよ、と言っていなくなったら困るでしょう。現われた方が救いになるんだから、よいことを思ったほうがいいですから、信じたほうがいい。
亡びるぞ、と言われて亡びる方を信ずるより、救われるよっていうほうを信じたほうが、人間は嬉しいでしょう。
騙されてもいいから、救われるほうを信じたほうがいいです。実際に明るくなるし、いいでしょう。
円盤は完全に在ります。宇宙人は素晴しい知能を持った、絶対力に近い力を持った素晴しい人たちです。
(つづく)
五井昌久著『天命を信じて人事を尽くせ (聖ケ丘講話)』より