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人生における守護の神霊の導き②

(つづき)業をそのまま出しちゃうのは当たり前。抑えたのではこれもいけない。人間は難しいですよ。

押さえもしない、そのまま出しもしない、出す手前で消えてゆく姿にしなさい、と教えているんですよ。

出す手前で消えてゆく姿に、と何べんも言っているのです。

抑えてはいけない、出したほうがいいんだいいんだ、出るようになってるんだ、出せだせというんで、お前なんか憎らしいとやってしまったら、ハタが迷惑します。

どうしたらいいかというと、その真ん中で消えてゆく姿にしなければならない。殴ろうとする、ああしかしこれはいけないんだ、世界人類が平和でありますように、と心をかえれば、怒りでもフッとなくなってしまうんですよ。

だから気分をかえると、表面近くまできても出ないんです。そうすると、抑えたよりもいいし、叩いたよりもよくなるわけです。

例えば千なら千の力で出てくるものを抑えたら、千がたまってしまう。では千をそのまま出してしまったら気が晴れるか、といったら晴れやしない。殴ってしまったら悪い気がするんだから……。また自分がそれで晴れたとしても相手が迷惑します。

ところが出てゆく時、消えてゆく姿だ、神さま助けてください、世界人類が平和でありますように、先輩の誰かにすがったりする。そこで浄めたりしてもらって消えてゆきます。五百なり三百なりになって消えてゆくわけです。

そうすることが一番中庸の道なのですね。

質問した人は悪いことが出来る人でないから、赦されたほうが安心するでしょう。それに年取ってるからいい。しかし、もし若かったら、四十ぐらいだとしますと、赦されているうちに、それに慣れてしまうから、習慣づいてしまって、やりたいことをやってしまうことになるでしょう。

私が修行中、二十代の終わり頃でしたが、ある心霊交流会に出ていました。まっくらにした部屋に大勢いるのです。そして座って統一するのです。そのとき相当霊能的になっていたのですね。隣に娘さんが座っていた。すると、「隣に座っているのは未来のお前の妻なんだから、手を出して握ってみろ、握ってしまえ、握ってしまえ、握ったら決まるのだから」と霊的にささやかれて、さらに手を動かすのです。(つづく)

五井昌久著『質問ありませんか?―聖ケ丘講話』より

著書
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五井先生に学ぶ