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人間の実体を突きとめて、本当の自分を見極めよう(前半)

自分というものは一体どんな者なのか
こんなことを考えるのは当たり前のようなのですが、意外と考えない人が多いのです。

自分は一体どこから来て、どこへ行くのか、
こうして生きている自分というものはどんな原動力で生きているのか、
生命力というのは一体なんなのか、
自分の想念というものはどこから湧いてきて、どこに隠れてしまうのか

等々種々な疑問が自然に湧いてくるはずなのですが、そんなことを一度も考えたことがないという人があるのです。

それでいて、自分の権利とか、自分の自由とかいっているのです。自分の権利とか、自分の自由とかいったって、自分自体が本当にはわかっていないでいうのですから、その権利とか自由とかいうのも、まったく浅く浮ついたものになってしまっているのです。

今までは、まあそれでもいいでしょう。
しかし今日では、そんな浅はかな生き方では、とても自分も自分の周囲をも生かしてゆけない、非常事態になってきているのです。

いやでも応でも、自分というものを見極めなければ生きてゆけない、幸福な平和な生活ができない、最後の土壇場にきてしまっているのです。(つづく)

五井昌久著『愛・平和・祈り』より