(前略)宗教の運動というものが、一宗一派に把われていますと、この地球はいつまでたってもよくなりません。
あらゆる国の、あらゆる民族の、本当に神様のわかった人、本当の真理のわかった人たちが寄り集まって、地球を救うという時代に、今はさしかかっています。
ですから、自分の会だけ大きくなればいいと、会員数を三百万だ五百万だ、と誇っているような行き方というものは、道に外れてゆくわけです。
人類愛に満ちている、本当に人間を愛する人たちが上に立って働かないことには、神様が働かない。だからこの地球は滅びるということになります。
我々の行き方はどういうものなのかというと、一にも二にも世界人類の平和を祈ること。
己(おの)が幸(さち)願う想いも朝夕の世界平和の祈(の)り言(ごと)の中
この和歌の通りなのです。自分のうちの幸せも、病気が治ることも、貧乏が直ることも、商売が繁盛することも、すべて世界平和の祈りの中に入れて、世界平和の祈りがもっている大光明波動によって、自然と自分たちが浄められて、その浄められた順序に従ってよくなってゆく。
病気が治りたいから世界平和の祈りをする、貧乏が直りたいから世界平和の祈りをする。それも初めの二、三年は結構です。
だけど、本当に世界平和の祈りがわかってきたならば、病気が治りたいという想いも、金持ちになりたいという想いも、地位が上がりたいという想いも、すべて平和の祈りの中にとけこませる。
神のみ心がお金持ちになるほうがいいのならば、お金持ちにしてくれるでしょう。病気がすっきり治っているほうがよければ、すっきり治してくださるでしょう。地位が高いほうがよければ、地位を高くしてくださるでしょう。それは神様(守護神様)のみ心なんです。
病気になって、その苦しみの中から魂が立派になることもずいぶんあります。ですから、病気をすることは必ずしも悪いわけではありません。過去世の因縁の消えてゆく姿として、病気するかもしれない。あるいは人の想いを受けて病気するかもしれない。
どういう形で病気するとしても、病気になったら病気になったことがいいんですよ。病気をしている間に何かを悟る、魂が練磨される、ということが大事なんです。
そこで、病気も貧乏も、あるいは友人知人から悪く思われたりすることも、(いい行ないをして、人のために尽くしたのに、かえって恨まれたりする場合があります)すべて過去世の因縁の消えてゆく姿として、いろいろ現われてきます。
そう現われた時が大事なんです。自分の生活にいやなことが現われた、そこが一番大事なのです。(つづく)
五井昌久著『内なる自分を開く―本心開発メソッド』より