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我々のやり方(後半)

(つづき)生活にいいことばかり現われるなら問題はないけれども、いやなことや悪いことが現われてくる。現われた場合に、「なんだ、信仰していたって、なんにもならない。祈ったってなんにもならないじゃないか」と、それを宗教に結びつけてしまうのは間違っています。

宗教は宗教だし、祈りは祈りなんです。現われてくる貧乏や不調和というのは、過去世の因縁の消えてゆく姿なんです。現在祈っていることとは関係ないのです。

現在祈っているということは、自分の想いが現在、神様の中に入っていることなんです。

世界人類が平和でありますように、と祈っていて、神様と一体感が出来ていましょう。けれども、今、現われている病気や不幸というものは、過去世から今までたまっていた想いが、つまり、さんざん録音しておいたものが、そこに現われてくるわけです。

だから、今、祈っていることと、現われていることとは別問題。

統一をしている。すると雑念が起こってきますね。雑念というのは過去の蓄積された色んな想いで、それが現われてくる。

祈っているのは今なんです。今は、世界人類が平和でありますように、神様ありがとうございます、という想いが神様の中にピシリと入っている。

ところが雑念はどんどん出てくる。だから統一していないんじゃないかと思う。

統一はちゃんとしているのです。雑念は統一の光に引き出されて、どんどん消えてゆくんです。

だから、いかに雑念が出ようと、座って統一していることと雑念は別なのです。これがわかると一番いいですよね。

今の自分は、世界平和の祈りを祈って、神のみ心の中に入っている自分なのです。神との一体化をなしとげている自分なのです。

それで現われてくる悪いもの、病気も不幸も災難も、それは過去世の因縁が現われて消えてゆくのです。それだけ悪いものが減ってゆくわけです。悪いものが減る状態として現われてくる。

借金をしていると、借金は返さなければなりませんね。借りたものを返さないわけにはいかない、だから返す。返せば借金は減ります。お金が減ったから損した、そんなことはありませんよね。返したんだから、それだけさっぱりしたわけでしょう。

後余ったお金は自分のお金だ。それと同じように、今、現われてくる悪いものは、過去世の因縁が消えてゆくのだから、借金を返しているわけです。最後に残るものは、神様と一体化、神と人間が一つになった姿、光明燦然たる自分だけなのです。

どんなものが現われてきてもいい、消えてゆく姿はどんどん消えてゆく。最後に消えきった時に残るものは、光明燦然たる天国がそこに現われるのです。

それをやり遂げようと我々は、消えてゆく姿で世界平和の祈りという運動を展開しているわけです。(中略)

肝をすえ、しっかり大地に腰をすえる。神様は愛なんだから人類を救わずにはいられない。救おうと思って守護霊守護神を遣(つか)わしている。あるいは老子も孔子もお釈迦様もイエスさんも、みんなそのために現われている。

そういう大聖の教えのひびきを我々が受けとって、さらに現代的につけ加えて、みんな力を合わせて人類を救っていこうじゃないか。人類を救うということは、自分を救うということと同じです。個人人類同時成道(じょうどう)、というように我々はしていこうじゃないか、これが私どものやり方です。(後略)

五井昌久著『内なる自分を開く―本心開発メソッド』より