(前略)音楽を聴くのもよいでしょう。映画を観るのもよいでしょう。なにをするのもよいけれど、それはあくまでも生命を生かすためです。
神からきている生命、自分の本体を生かすために楽しむのはいいと思います。楽しんで、それが生命の糧になって、それでまた生命を生かす、人のために働く。
自分の本体のため、神のみ心のため、本心のために働くという働き方が出来るように、その働き方がますます楽に出来るように、疲れた体をお風呂に入って磨く。食物も食べるし音楽も聴くし、映画も観るし、というように楽しむのはいいわけです。
ところが世の中をみていますと、ふつうの人たちは、バカンス、バカンス、とやっているでしょう。でもそれは、生命を生かすためではなくて、生命を汚(けが)すために、わざわざ疲れにゆくためのものです。
要するに、今の人たちにとっては、肉体世界だけがすべてになっている。しかし、肉体というのはやがてなくなります。
今の肉体は全部変わります。もう否でも応でも、なんでもかんでも、肉体生活の肉体波動というのは、全部変わるのです。
変わらなきゃいられない、変わるようになっている。何故変わるかというと、宇宙の法則が変わる、宇宙の運行が変わってゆくからです。
例えば、今まである星が主になって地球に光を投げかけていた、それが他の星に移るのです。その時、どうしても主導権が変わってゆく。例えば、資本主義だったものが社会主義になれば、否でも応でも変わる。(中略)
それと同じように、宇宙の星の運行が変わるにつれて、主導権が変わると地球世界も変わってゆくわけです。そして最後に、宗教とか神とか思ったって思わなくたって、否でも応でも変わらされるんです。
そういうことが多くの人にはわからないんですね。しかし、皆さんは幸いにして、世界平和の祈りの中に入っていて、知らないうちに変わらされてゆくわけです。
そうしてるうちには風邪もひいたりするかも知れませんし、下痢もするかも知れません。いろんなことがあります。ありますけれど、知らないうちに、徐々に徐々に、自然に変わらされてゆくわけです。
神々が変えてゆくわけです。自然に宇宙の運行に合わせてゆくわけです。否とか応とかではなくて、合わせられるんですよ。(つづく)
五井昌久著『天の心かく在り―日本の進むべき道 (聖ケ丘講話)』より