(前略)神界の自分の心を本心というのであり、肉体内の想念を業想念というのであります。
ですから、常に肉体の想念を、神界の自己、本心の座に還えさせて置けば、宇宙神のみ光そのまま肉体の自分に入ってきて、神我一体の生き方が出来ることになるのです。
この神界の自己との一体化は、守護の神霊への感謝行によって、自然となされてゆくのでありますから、私は守護の神霊への感謝行を、私の教の根本としているのであります。(後略)
五井昌久著『生きている念仏』より
(前略)神界の自分の心を本心というのであり、肉体内の想念を業想念というのであります。
ですから、常に肉体の想念を、神界の自己、本心の座に還えさせて置けば、宇宙神のみ光そのまま肉体の自分に入ってきて、神我一体の生き方が出来ることになるのです。
この神界の自己との一体化は、守護の神霊への感謝行によって、自然となされてゆくのでありますから、私は守護の神霊への感謝行を、私の教の根本としているのであります。(後略)
五井昌久著『生きている念仏』より