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雑念を消していのちを自由に働かせる方法

祈りとは生命を正常に働かせるために、それを妨げる邪魔な想念波動を、神の大光明の中で消していただくことなのです。

剣道でも角力(すもう)でも、拳闘でも、想いが統一しきっていないと、本来の力が出ないものです。試合最中に想念が種々乱れていたり、打とう打とう、勝とう勝とうというような力みがあったりした時は、思うように自己の本来の力がでないで負けてしまうことが多いのです。

祈りというのはそういう雑念を、常に神のみ心の中で消し去って、いつでも神から分けられた生命の自由な働きを保持してゆこうという方法です。

その祈り心を私は、守護の神霊への感謝とともに、世界人類の平和を願う、人類愛の祈り言に入れきってしまう運動にしたのです。消えてゆく姿で世界平和の祈り、というのはそういうところからはじまっているのです。

心を雑念で汚しておかないで、いつでも、人類愛の想い、光明波動で充たしておこう、というのが私の運動の趣旨なのであります。

五井昌久著『平和を呼ぶ声』より