(つづき)だから、自分が偉くなるより仕方がない。自分の心を正しく、神のひびきと一つにすれば、自分の前に現われてくるものは、すべて神のみ心が現われてくる、みんな神の光明になって現われてくるわけです。
だから自分の前にどんなに悪い人が出てこようとも、それは自分のものなのですよ。自分のひびきがそこに現われている。
現われてきたことに文句を言うより、自分に文句を言ったほうがいいけれども、なんにもならないから消えてゆく姿にして、世界平和の祈りの中に入れてしまいなさい。
私はあの人のためにしてやった、あの人にこんなことをしてやった、というけれども、そんなことはありゃしない。
自分のために尽くしている。尽くしたことは自分のためにいいのです。
憎めば自分が損なのです。
他に人があるわけじゃない。
自分だけがあるんですよ。あの人のために尽くした、あの人のために祈ったなんて、生意気なことを言うな、と私は言うのです。
あの人のために尽くすも、あの人のために祈るもありゃしない。自分のためにやっている。
自分が祈りそのものになればいい。いちいち人と比べてみたりする人がありますが、比べる必要も何もありゃしない。
自分が立派になること以外に何もないのです。
そうすると、この世もあの世も無い。在るものは神(我)一人。宇宙神の光(人類の本質)があるだけということになるのです。(おわり)
五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より