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すべては必ずよくなるに決まっている

守護の神霊が自分を守っていて下さるということが何とはなくわかって来ますと、日々の生き方が明るくなってきますし、それだけでも、幸福な道は近づいてきたようで、心がしっかりしてくるものです。

守護の神霊への日々の感謝と世界平和の祈りをつづけている私たちの同志が、日増しに元気に明るくなってゆき、ついには不退転の(ふたいてん)の自信をもつようになってきているのは事実なのであります。

神さまは永遠の生命の調和のために働いてくださっていることはもちろんですが、肉体人間生活の幸福のためにも、そのお力を注いでおられるのも、私たちの体験の上で事実であるのです。

ですけれど、肉体人間の要望のほうが万全を望んでいるので、その望みが少しでもかけると、おかげがなかったと思うのです。

例えていいますと、ある人が肉体を去ったとします。すると、そのことがもうそのままおかげがなかったと、浅い宗教信者は思うでしょうが、神さまにすがっていた場合には、その人の死というものが後(あと)のものの後々(のちのち)のために必ず得になるようになっていますので、その場だけのことで、神への不信感を起こしてはいけないのです。

そして、神さまにすがっていたその人は当然、あの世での生活が神を信じていない人々より、楽であるに違いないのです。そうであることを、私たちは多くの体験で知っているのであります。

さまざまの生活環境の場合でも、守護の神霊への感謝で生活している人は必ず、よくなっているのは決まっているのです。

五井昌久著『自らを信ぜよ』より