(つづき)そして、幽体という波動層は、過去世からの肉体意識を潜めているところでもあり、神霊意識を貯めているところでもあって、肉体人間そのままに玉石混交した場なのです。
ところがこの幽体という波動層が、肉体人間の運命を決定している場でありまして、この幽体が光明波動で浄まっていれば、その人も自ずと高潔であり、運命も明るいものになりますが、これが汚れて濁っておりますと、人格も低劣になり、運命も汚れた濁ったものになります。
この世的には悪いことをしながらも、運命の非常に善い人などは、人間が何度でも霊幽の世界と肉体世界を輪のように生まれ変わりしている過去世において、なんらかの徳を積んでいた人なのでありますが、その徳が消滅するにしたがって、その上に善徳を積んでおかぬ限りはいつか、運命は下落してゆくことになるのです。
もし、一生善い運命で生活できたとしても、その後の世界、つまり幽界においては実に苦しい生活に陥ってゆくのであります。仏教的にいう因縁因果説、因果応酬(おうしゅう)ということは真実のことなのです。
ですから、今生でいかに人のために尽くし、善く生きていたとしても、過去世で大きな誤ちを冒(おか)してきた人は、今生では善い運命になり切れぬ人がたくさんいるのであります。
そこからはどうしても宗教の世界になるのでありまして、神仏のみ心に素直に入ってゆくことだけが、そういう因縁因果を超え得ることにもなるのであります。(おわり)
五井昌久著『光明をつかむ』より