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実践あるのみ

宗教生活というのは、何も特別むずかしいことをする必要はないので、自分がしてもらったら嬉しいようなことを、人にもしてやればよいのです。

いいかえれば思いやり深い人間になればよいのですが、これをもっと具体的な高い深い行為にすると、世界平和の祈りを根底にした日常生活をすることが、宗教生活そのものであるといえるのであります。

世界平和の祈りは、特別な意思が必要でもなく、それほどの努力の必要もない、ただ業想念行為の出た直後、あるいは直前にはぜひやってもらいたいと思うのです。

直前にやるのはなかなか熟達してでないとできないと思いますから、その点は歩いている時、電車に乗っている時、食事の時、寝る時、起きる時というように心に暇のある時、常時やっていればよいのです。

そうしていますと、業想念、たとえば、怒りとか恐怖とかの想いが出てきた時、とっさにその想念を世界平和の祈りの中に入れることができるようになり、業想念消滅が早くなるのであります。

世界平和の祈りをする時には、必ず救世の大光明が光り輝くので、病気などが立ちどころに治ったりすることもあるのです。

現今では守護の神霊の救済の力が非常に強まってきていますので、世界平和の祈りをすることによる生活改善が、容易になされるようになってきています。(中略)

人類の救いは守護の神霊の援助なくしてはとうてい達成でき得ません。

その守護の神霊が大挙集団として働いているのが、救世の大光明であるのですから、世界平和の祈りの効果が大きく現われてきたのも当然といえるのでありましょう。

現代はもはや理屈を抜きにした実践あるのみです。

五井昌久著『光明をつかむ』より