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家庭調和の指導例

私は一日に二百人三百人と会って、それぞれの相談に応じておりますが、私は会う人一人一人の想念の中に入って、その人の本心と業想念との距離を計り、その人の本心が開発されるのには、どのような答えが一番適当であるかを、一瞬にして読み取り、つとめて相手の感情に合わせてその答えを出してゆくのであります。

家庭問題の場合など、相談に来る人のほうがたとえ悪い想念であった時でも、私はその人を責めたり、たしなめたりしようとは思いません。その人はその人なりに、自分を誰かに愛してもらいたいのであります。その人の業想念は、愛情の不足から来ているのです。

愛されたいのに愛されない、愛されないのは、自分が相手を愛さないからだということを、その人は頭で知っているかもしれないが、心ではわからない。心でわからぬということは、実行出来ぬことで、自らが愛行をせぬから、他からも愛行を受けることが出来ない。そこで、ますます業想念をまき散らして家庭から嫌われ、誰かに愛されたくて、幸いにも私のところにその訴えに来た、というわけになるのです。

私はそういう経緯(いきさつ)が一瞬にしてわかるから、決してその人を押さえつけるような言葉や態度を示さず、柔らかく優しく、温かい態度で、その人の話しを聞いてやるだけにして、ただ光を当ててやるだけにしている。

そうすると、その人は私を自分の味方だと思い、愛された満足感を得て、来た時とはまるで違った温かい心になって帰ってゆく、すると、その雰囲気はたちまち家中に伝わり、家内の人たちも、なんとはなくその人に温かく接するようになる。これは想念の感応であって、同じ波動が交流し合うことになるのであります。

ここからまず、家庭調和の第一歩が始まるのであって、その後は私の愛念がますますその人に通じてゆき、なんらの説教なしで、その家庭は平和になってゆくのであります。

愛のない説教などは、個人指導においては、なんらの効果のないばかりではなく、かえって人の心を傷つけるぐらいのものであります。

私は私のところに来る人々には、声に出る説教で説くよりは、世界平和の祈りを心の中でしながら特にその人の天命の完うされることを、守護の神霊に祈ってやりなさい、と教えているのです。

人間は愛されたいのです。

人類すべてに愛が必要なのです。

愛とは説教でも小言でもありません。

柔らかい温かい明るい光の波であります。

五井昌久著『霊性の開発』より