人間の実体とは

(前略)自分というものは一体どんなものなのか、こんなことを考えるのは当たり前のようなのですが、意外と考えていない人が多いのです。

自分は一体どこから来て、どこへ行くのか、こうして生きている自分というものは、どんな原動力で生きているのか、生命力というのは一体なんなのか、自分の想念というものはどこから湧いてきて、どこに隠れてしまうのか等々、種々な疑問が自然と湧いてくるはずなのですが、そんなことを一度も考えたことがないという人があるのです。

それでいて、自分の権利とか、自分の自由とか言っているのです。自分の権利とか、自分の自由とか言ったって、自分自体が本当にはわかっていないで言うのですから、その権利とか自由とかいうのも、まったく浅い浮ついたものになってしまっているのです。

今まではそれでもいいでしょう。しかし今日では、そんな浅はかな生き方では、とても自分も自分の周囲をも生かしてゆけない、非常事態になってきているのです。

いやでも応でも、自分というものを見極めなければ生きてゆけない、幸福な平和な生活が出来ない、最後の土壇場に来てしまっているのであります。(中略)

自分の実体がわからなくては、これからは恐ろしくて生きてゆけないような事態が、世界の各処で起こりかねないのであります。

人間というのは一体肉体身だけのことをいうのでしょうか。肉体身にまつわる精神だけを心といっているのでしょうか。

そうではないのです。人間とは肉体身だけではない。精神(こころ)というのも、肉体身がある時だけあるものではない。

人間の実体というのは、霊妙不可思議なる光明身なのだ、ということを、私は体験としてようく知っているのです。(中略)

人間という者は肉体ではない、肉体とは一つの器であり、場所であって、真実の人というものは、神霊の体なのである、と知ることが大事なのであります。(後略)

五井昌久著『愛・平和・祈り』より