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私心をなくして生き生きと生きよう

(前略)皆さんは本当に幸せ、若い人は幸せよ。

世界平和の祈りを広めよう、世界平和の祈りによって世界を救おう、という目的がありますね。そういう目的があるから、うちの人たちはきれいだと思うんです。

人間は高い大義に殉ずる、そういう生き方をすることが一番美しくなります。(中略)

うちの青年男女は、世界平和の祈りを広げようと一生懸命です。だから見るからに美しいです。皆さんは美しく見える。

本当に自信を持ちなさい。鼻が低かろうと、口が大きかろうと、そんなことはあんまり問題じゃないんだ。中の生命が”やろう!”と燃えている。大義のため、世界平和のためにやるんだ、という意気込みが美しくするんです。

それはあに青年男女だけではありません。おばあさんだって、おじいさんだっていいんです。

意気に燃えていると、おばあさんはおばあさんにならず、おじいさんはおじいさんになりません。いくつになっても若々しく生きられる。

やはり生き生きとしなければダメですよ。それには、”私”という物があり過ぎてはいけません。

自分だ、自分の家族だ、自分自分と自分というものがあると、生命が生きません。

自分は天から守護神、守護霊が守ってくれている。自分のこと、自分の家族のことは、神さまに任せておけばいい。

これは宗教の根本ですよ。”生命を捨てざれば生命を得ず”とイエスはうまいことを言った。

肉体的な生命を捨てなければ、本当の生命は生きないんです。

肉体の自分の満足なんか、ひとまず置いて、それをやってもいいけれど、根本は国のため、人類のために平和を創るんだ、大義に殉ずるんだ、というところにスパーッと入っていかないと決定(けつじょう)しません。

それを根本にして、テレビをみようが、映画をみようが、ダンスをしようが、そんなことはかまいません。根本が決まらないで、目的なくフラフラしていたんではダメですよね。

根本が決まれば何をしたっていいんです。あまり固くなると昔の宗教みたいになってしまいますからね。根本だけ立てていけばいいわけです。

五井昌久著『質問ありませんか?〈2〉聖ケ丘講話』より