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いかなる業も必ず消え去るものである

(前略)私は本心というものと業想念、つまり、喜怒哀楽、情欲、嫉妬等々の感情とをはっきり分けて、本心は神のみ心で、光そのものであって、永遠不滅のものであり、業想念は、現われては消えてゆくものである。であるから、常に常に自己の心の中で、本心(神)を呼びつづけ、自分に都合の悪いことが現われたら、過去世からの業想念が今消えてゆくところであると、その悪に把われずに、神さまのほうに心を向けてしまうことを教えているのです。

そして、瞬時といえども自分の運命を善導していて下さる祖先の先覚者である守護霊と、その上位にある守護神への感謝を怠るな、と説いているのです。

せめて人類の一割が、自己の想念を本心の座に引き上げて、本心の光で、自己の仕事に専念していたなら、この世界はたちまち悪想念の波動が浄められ、憎しみなく、闘争なき、平和世界として、光明化してゆくことは疑いもない事実なのです。

ですから、自己の誤ちも、他の悪をも、いたずらに責めさいなむことをやめて、いずれも過去世からの誤った業想念の消え去りゆく姿であることを認識し合うようにしてゆくことであり、その裏づけとして、自他の守護霊、守護神にいち早く、その業想念の消え去ることを感謝の想いと共に思うようにしてゆくことが、第一であると思うのです。

自分の誤ちや他人の悪想念を、いつまでも追い掛け回しているようでは、けっして、幸福な世界が出来るわけがありません。それは、業想念の波動の中に、自他共に巻き込まれていることであって、本心の存在を忘れ果てた姿であるからです。

どのような姿で、そのように業(カルマ)が現われようと、それは、そのまま想いを動かさずにいれば消え去ってゆくのですから、その業(カルマ)に対抗的になったり、無理に消し去ろうとすることはありません。黙って、守護霊、守護神の加護を念じつづけているだけでよいのです。

どんな悪も不幸も必ず消え去ることは、絶対なる事実なのです。

それを信ずることです。

第一に神の愛を信じ、第二に自己が神の分かれであることを信じ、第三に、業想念は必ず時間的に消え去るものであることを信じつづけて生きてゆくことを、私は説きつづけているのです。

悪は消え去るもの、不幸は消え去るもの、いかなる欲望想念も、神を想いつづければ必ず消え去るもの、これは私が体験から得た事実なのであります。(後略)

五井昌久著『霊性の開発』より