(前略)普通人には誰でも、この世の長い習慣で自分に都合の悪い人や、自国に不為になりそうな国を邪魔にする想いが出るに決まっております。それはそれで仕方がないと思います。
しかしそういう想念があるのに、それをごまかして、あたかもそういう想念が少しも無いようなふりをして、よいことばかりいっていては偽善者になります。
といって、そういう自己本位の想念をよしとしていたのでは、いつまでたっても、真理の世界、真実の平和世界は生まれ出ません。
そこで私は、そういう自己本位の想念を、すべて誰方かに消して頂いて、神のみ心そのものの想念行為になり得るような方法を考え出したのです。
その消して下さる方は神なのです。神なのですといっても、神の姿はどこにも見当たりません。そこで、神のみ心をつかもうと思いました。
神のみ心は、愛であり調和であります。人類世界の完全平和を願うみ心であります。このみ心を私はつかみました。
そして、このみ心をつかめば、人類すべての誤った想念、業(カルマ)想念は自ずと消えてしまうに違いないことがわかりました。
私自身が先ずそのみ心の中に飛び込みました。そういたしますと、見事にそれまでの私の業的想念が消え去りました。そして、私の心に残ったのは、神のみ光だけでした。
私の生活は、たちまち神のみ心のままに活動する生活に一変しました。
この世に平和世界を導き出す、というただその一点のみに全力を集中する、そういう生活が私の全生活になってきました。(つづく)
五井昌久著『本もの贋もの』より