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死後の世界と肉体界での生き方(後半)

(つづき)

従って、その蓄積された想念の種々相であるように、幽界の段階は細かくいえばかぎり無いほどに分かれているが、大別して、天界、人界、地界というように、三段階に分けられる。

この段階の上位は天界で、愛深き人、物質慾少なき人、執着少なき人等々、神の心に近い人々が住み、この界においてもさらに細かい段階がある。

人界とは、この肉体界における普通人であり、平均点の人々の圏であるといえよう。

地界は、愛に背くもの、物質慾深きもの、執着強きもの、自我心強きもの、怠惰なるもの等々、神の心、即ち本源の心に遠いものが、その業因縁を消滅せられるために住む世界である。

人界、地界(註…この世界はお互いに幽体が見え合うのであって、その点、肉体界と同じである。ただ、肉体界よりすべてにおいて速度が早く、善悪とも、思うことがすぐ実現する)においては、業因縁の渦から脱しようと努力しながらも、肉体界以上に業因縁の渦は急速に回転するので(それは、念波の周波数が肉体界より細かいから)なかなか、その輪をぬけ出ることはできない。

その渦の輪をぬけ出すためには、一度、想念おもいを停止すること、絶対の精神統一に入ること、すなわち、神にのみ心を集中して、いかに業因縁の念が自己の周囲を回転しても、見むきもしないことであって、その精神統一の深さに従って、蓄積された想念の消滅の仕方が違い、その度合によって、自己の済む圏(世界)が高くなるのである。

いいかえれば、「いかなる辛さや苦しみや自己に都合の悪いことが出て来ても、それは今、自己を取り囲む業因縁が消え去って行く姿であると観て、ただひたすら、神との統一観に浸れ」ということで、これは肉体界における場合と同様であるが、肉体界のように、その業因縁が緩慢に現れる世界と違い、烈しく、急激に現れるので、なかなかその苦しさに耐え得られないのである。

このことを考える時、この肉体界に生活する期間中にできる限り、自己の業因縁を消し去っておく方が、幽界において同じ業因縁を消し去るよりは、どれだけ楽であるかわからないのである。

(後略)

五井昌久著『神と人間』より