宗教の道というものは、永遠の生命を自分のものにする道なのです。
肉体の人間というのは永遠ではなく、五十年八十年の人生です。近頃長生きの人が増えましたけれど、だいたい百以下の命です。
ところが、実際の人間の生命というのは永遠なのです。永遠不滅なのです。生き通しの生命なんです。
これは肉体にいるとなかなかわからない。しかし、霊覚を得た者にとっては、永遠の生命であることがわかるわけです。
私どもは常に神々の生命を交流し、自分の本体がどこにいるかわかっています。
肉体でこうしてしゃべっている自分がおります。しゃべらせている私もいるわけです。
ズーッとズーッと高い所に五井先生がおって、白髪であごひげの長い先生がいるんです。衣冠束帯(いかんそくたい)の格好をしている時もあれば、白髪三千丈ではないけれど、眼光けいけいとした大きな先生もいるわけです。
それはやはり私なんです。よく村田さんの『霊界通信』に、霊界へ誰かが行くと、白光燦然として光の中から五井先生が現われます。
「五井先生って肉体に生きているのに、どうしてあっちにいるのかしら」と思うけれど、あっちにもいるんです。
あっちは本物で、こっちは偽物(にせもの)ではないんだけども、こっちは分生命(わけいのち)なんですね。
向こうは神界におりますから、こうこうと輝いて宇宙を照らしているのです。
その神界の光はズーッと肉体に来て、肉体界の代表として五井昌久という人がここにいるわけなのです。
いうなれば天と地をつなぐ光の柱です。天と地をつなぐものの、今この私が中心になっているわけです。
皆さんも実は、天と地をつないでいるのです。誰でも彼でもつないでいるのだけれども、天の自分がわからない。テンでわからない(笑)。
わかっている人も大分あります。いわゆる消えてゆく姿の肉体生活にあんまり把われないということは、それだけ天の自分に還(かえ)っているわけです。
肉体にいながらも、天の自分の中に住んでいる、そういう人が多くなればなるほど、この地球世界は立派になるわけです。(後略)
五井昌久著『永遠のいのち―本当の自分に出合う 聖ケ丘講話 (聖ヶ丘講話)』より